障がい者雇用についての詳細をご覧いただけます。
独立した人格が和の精神を持って力強く連携した生活共同企業体を創造する。
奉仕の心でお取引先との永続的共存共栄に全力をかたむける。
和と奉仕によって得た社会からの還元物を個人及び地域社会に適正に配分し真の幸福を実現する。
「和」 「奉仕」 「幸福」
この3つの理念を大切にし、実践に努め、社会福祉に貢献することが真の幸福を掴み取ることであると同時に会社の発展につながる道であると確信しています。
そして、誰もが活き活き働き・生き生き生活し・愉快に遊べるという地域社会を築き、心の壁を取り除き障がいのある人もない人もともに普通の暮らしが出来るノーマライゼーションの実現を目指します。
昭和30年代、当社の創業者である納富廣次が、身体と知的の重複障がい者と出会いました。障がいがあるゆえに働く場がない。ただ施設や自宅にいるしかない。そんな人たちが大勢いるという現実を知り、なんとか彼らに働く場を提供できないだろうか、自立した生活をおくる手立てはないだろうか、と考えたのが始まりです。
当時、納富ランドリーから長野リネンサプライ株式会社に経営拡大を進める中で、3名の重度身体障がい者の職場実習を受け入れ、その後雇用へと踏み切りました。彼らのその後のたゆまぬ努力の結果、その中の2名が国家資格のクリーニング師にも合格しました。
その後、行政からのご指導のもと、昭和55年には長野県須坂市に病院寝具の専門工場をオープンしました。開設時には身体障がい者9名と知的障がい者7名を迎え入れ総勢25名で、労働省(現在の厚生労働省)認可の「心身障がい者雇用モデル事業所」として操業を開始しました。それと同時に障がい者のための社員寮も建設し、就労と生活の両面をサポートする体制を整えました。
昭和59年には長野県長野市の現在地に本社とホテルリネン専門工場を拡張移転し、それを機に障がい者の雇用枠をひろげました。平成2年には「重度障がい者多数雇用事業所」として認可され、現在、長野工場で精神障がい者1名と知的障がい者23名、須坂工場では身体障がい者1名と知的障がい者14名が就労しています。
私たちは障がいがあっても働きやすい職場環境を整えるため、障がいに適した機械の設置と整備に取り組み、昭和62年には自動化機械を導入し、作業上の安全管理と能率の向上を図りました。また、工場長や各職場の責任者によるマンツーマン指導や障がい者同士で教えあう仕組みを作りました。
さらに平成5年には障がい指導課を設置し、専門の知識を持った専任スタッフが障がい者と一緒に作業し、それぞれの問題点や余暇活動までサポートしています。
また、あらたに就労を希望する障がい者には、職場体験・職場実習を経て、本人はもちろんご家族の方にも納得いただいたうえで雇用させていただきます。職場配置については、各部署を経験したのち配属し、その部署のスペシャリストを目指してもらいます。
労働条件は、賃金等も含め一般従業員と何ら区別はしていません。
障がいのあるなしにかかわらず、社員全員がともにより良い職場環境を創り出す、ノーマライゼーションの実践に努めています。
長年にわたる障がい者雇用の歴史の中で、彼らの加齢による能力低下や、支えてきた親の高齢化・死といった問題が避けられなくなってきております。
創業者の意思を継いだ前社長が、平成10年に長年の夢だった社会福祉法人廣望会を設立し、障がい者への総合的な支援をスタートさせました。長野県埴科郡戸倉町(現千曲市戸倉)に知的障がい者福祉工場を設立し、一般企業では就労が難しい重度知的障がい者の雇用の場を切り開き、その後、共同作業所・通所授産施設・グループホームを設立し、当社のグループ内で雇用の場・生活の場・就労訓練の場を構築しました。
平成20年には須坂市の社員寮をグループホームに移管し、もし働けなくなったとしても住み慣れた場所でゆっくりと充実した生活を送れる、そんなシステムが出来上がりつつあります。
つまづいてもまた戻ってこれる、安定した生活と職業教育訓練雇用システム。私たちの目的である企業福祉「ノーマライゼーションの実践」を目指し、ともに夢の描ける社会を築いていきたいと考えております。